知らないうちにクインテット
ブラバンでパーカスだった。
……わかりやすく翻訳すると、学生時代、吹奏楽部に所属していて打楽器(パーカッション)を担当していた。
50人ほどの部員ともなると、自然と派閥みたいなものができあがる。
座る位置が近いし、分割合奏のときは木管と金管に分かれるから、自然と仲良くなってたのだと思う。
これに対して、パーカスはどっちつかずの立ち位置であることが多かった。
あるとき、帰りのミーティングで木管組の何人かから報告があるということで、5人が指揮台のあたりに並んだ。
「わたしたち、アンサンブル・コンテストに出ます!」
つきましては、本来の練習メニューから外れることがあるけどよろしく、ってことだった。
メンバーはテナーサックス、アルトサックス、バスクラリネット、クラリネット、フルートの実力ある5人。
サキソフォン、クラリネット、フルートとパートを横断しているけれども、いつも固まって行動していた仲良し5人組だった。
なんだよ、聞いてないよ。
アンサンブル・コンテストはメンバーが揃えばどんなチームでも出場可能だったはずだけど、パーカッションで出場するだなんて考えたこともなく、知らぬ間に出来上がっていたクインテットに、嫉妬の気持ちが芽生えたのも事実だ。
とはいえ、本来少しだけオフシーズンになる秋の文化祭以降も彼女らは、朝練、昼練、日曜練習を重ねて、ついには地区大会を突破したのだった。
高2の冬をそんな風にして過ごした木管クインテットはますます結束をかたくし、仲良く卒業していったのがまぶしく、本当にうらやましかった。