Kommonうでわ

ひと粒ひと粒が愛おしい、ビーズの世界。

オニキスのゆびわ

旅ももうすぐ終わり、というときに、空腹に耐えかねてのれんをくぐったのがとある地方の駅の構内にある立ち食い蕎麦屋さんだった。

 

立ち食い蕎麦、というには割と本格的なメニューもある。

地元の製麺所の木箱なんかもあり、都会にありがちな冷凍麺をただ湯がくだけの蕎麦とは一線を画していた。

 

注文した蕎麦でしばしお腹を満たし、身体を温めていると、隣で蕎麦をすすっている強面の男性がこちらをじっと見つめているのに気がついた。

 

「旅のひとか」

 

ぶっきらぼうに、そう言い放つと、

 

「ねぇちゃん、この人にニシンそば」

 

と勝手に注文を始める。

いま、一人前食べ終わったばかりなのに。

 

どこから来た、どこに行ってきた、いつ帰るのか、普段は何をしているのか。

矢継ぎ早に質問を浴びせかけつつ、もうすぐ旅も終わるんですと言うと

 

「じゃあ親御さんに土産買うちゃる」

 

といいながら、まだニシン蕎麦を食べ終わっていないわたしの腕を引っ張ってキオスクへといざなう。

 

どこにでもある、よくある菓子折りを一つ買ってわたしに押しつけ、まだ何か言い足りなさそうにする強面の男性。

 

「デザート食うか」

 

そういいながら、今度は駅前のクラシカルな純喫茶へと連れて行かれるハメに。

それもこれも旅の醍醐味だなぁと思いながら、わたしは流れに身を任せていた。

 

伝統的なプリンパフェを前に、ひとしきり身の上話を聞かされる。

どう考えても強面の男性は地元のヤクザだ。

彼にはわたしと同じ年くらいの子どもがいて、一人旅をしているわたしを自分ごとのように心配してくれていたのだった。

心配だから家へ泊まっていけと言うのを丁重に断る。

 

帰りがけに、渡されたオニキスの指輪。

 

「アイツはもうすぐ死ぬんだ、癌で」

 

さきほどの立ち食い蕎麦屋を切り盛りしていた美人な女性が、末期癌だというのだ。

強面の男性と美人さんとの関係はよくわからなかったし、にわかに信じがたい話だったが、その“アイツ”さんからの指輪を、なぜかわたしにくれるという。

 

「お守り代わりに、な」

 

戸惑いながらも、人びとの交錯の証を手に握りしめた。

 

 

 

等しく祝福を。

「Yちゃん、あのね……」

 

なんだかもじもじしながら彼女は切り出した。

 

彼女と知り合ったのは、彼女がまだ小学生、自分は大学生のころ。

歳の離れた妹のような存在だった。

 

長いときを経て再会したときには、彼女もすっかり大人に成長していた。

 

「あのね、カノジョできた」

 

彼氏と別れて久しいと聞いていたので、にわかにその言葉の意味を理解することができなかった。

 

「ん? カノジョ?」

「そう、カノジョ」

 

彼女の新しい恋人との馴れ初め、恋愛に関するあれこれは、なんらヘテロと違うものではなかった。

遠く離れたコイビトの元に行く行かないで親と揉めている、という点すらも。

 

LGBTを隠すでもなく、主張するでもなく。

自然体で生きていた彼女は、ほんとうにチャーミングだった。

 

その後、いくつかの別れと出会いを繰り返したと聞くけれど。

 

願わくば、等しく幸せを。

等しく祝福を。

 

 

 

ようこそセロー、さよならセロー。

「子どもができたかも」

 

彼女の表情がさほど嬉しそうでなかったのは、まだ結婚していなかったこと、うんと年下の彼氏との子どもだったこと、その彼氏は定職についていなかったからだった。

 

そんな曰く付きで我が家にセローがやってきた。

 

たったの3万円で譲ってもらったのだった。

 

2年で2万㎞ほどセローを乗り倒している間に、彼女はその彼と結婚し、3人で暮らせるアパートに引越し、ほんの数週間の産休を経て復職し、彼氏もなんとか定職に付き、子どもはよちよち歩き始めた。

 

「セロー、まだ乗ってる?」

 

あの頃より、2倍も3倍もたくましくなった彼女からの連絡だった。

 

結局、アスファルトの上でしか走らせなかったセローは、メーターこそ2万㎞ほど回ったけれども、見た目はさほど変わらず、彼女の元へと戻っていったのだった。

 

 

知らないうちにクインテット

ブラバンでパーカスだった。

 

……わかりやすく翻訳すると、学生時代、吹奏楽部に所属していて打楽器(パーカッション)を担当していた。

 

50人ほどの部員ともなると、自然と派閥みたいなものができあがる。

 

基本的には、木管木管金管金管で仲良くやっていた。

 

座る位置が近いし、分割合奏のときは木管金管に分かれるから、自然と仲良くなってたのだと思う。

 

これに対して、パーカスはどっちつかずの立ち位置であることが多かった。

 

あるとき、帰りのミーティングで木管組の何人かから報告があるということで、5人が指揮台のあたりに並んだ。

 

「わたしたち、アンサンブル・コンテストに出ます!」

 

つきましては、本来の練習メニューから外れることがあるけどよろしく、ってことだった。

 

メンバーはテナーサックス、アルトサックス、バスクラリネットクラリネット、フルートの実力ある5人。

サキソフォンクラリネット、フルートとパートを横断しているけれども、いつも固まって行動していた仲良し5人組だった。

 

なんだよ、聞いてないよ。

 

アンサンブル・コンテストはメンバーが揃えばどんなチームでも出場可能だったはずだけど、パーカッションで出場するだなんて考えたこともなく、知らぬ間に出来上がっていたクインテットに、嫉妬の気持ちが芽生えたのも事実だ。

 

とはいえ、本来少しだけオフシーズンになる秋の文化祭以降も彼女らは、朝練、昼練、日曜練習を重ねて、ついには地区大会を突破したのだった。

 

高2の冬をそんな風にして過ごした木管クインテットはますます結束をかたくし、仲良く卒業していったのがまぶしく、本当にうらやましかった。

 

 

「インターネットの接続がありません」

初めてインターネットに触れたのは、Windows95が発売されたころだった。

 

そのころのインターネットはまだまだ特別なもので、職場でパソコンが普及し始めたものの、インターネット回線につながるのはカイシャでは総務部だけだった。

 

“ホームページ”なるものをほかに紹介したくても、総務部に行かないと見れないので、信じられないことにそこで画面を写真に撮ったりしていた。

 

しかもフィルムで!

 

やがて、自宅でも電話回線を利用してインターネットをつなげられるようになったんだけど、ものすごくお金がかかるので、“テレホーダイ”が出来てからというもの、夜の11時から夜更かしするのが定番となっていった。

 

有線だから回線が切れにくいとはいえ、たまに

 

「インターネットの接続がありません」

 

などと表示されることもあった。

 

忌ま忌ましかったのは、しょっちゅう、

 

「 このプログラムは不正な処理を行った ので強制終了されます」

 

と表示され作業を中断せざるを得なかったこと。

自分が悪いことしているわけではないのに。

このメッセージが出ると対応するために一晩、二晩の徹夜は当たり前……それがパソコンやインターネットの黎明期だった。

 

忌ま忌ましいあの怪獣は、クリックするとゲームが出来るそうだ。

それがわかれば、あの怪獣がだんだん可愛く思えてくるのだけれど、

はたして、黎明期に感じた黒い感情も帳消しされていくのだろうか。

 

ねぇ、ミモザ

ミモザという花のことは良く知らなかった。

 

けれど、なにか愛を伝える花らしい、というのはなんとなく気付いていた。

 

思いやり

友情

堅実

プラトニックな愛

愛情

豊かな感受性

優雅

エレガンス

真実の愛

神秘

秘密の恋

気まぐれな恋

 秘やかな愛

 

ねぇ、ミモザ

 

あなたは何を伝えることができるの?

 

わたしは何を伝えたらいいの?

 

 

たてむすび、よこむすび

「こういうの、たてむすびって言うのよ」

 

わたしが小学生のとき、担任の先生は間違いを指摘した。

 

ちゃんと結べているのに、なんで間違いって言われるのかよくわからなかった。

 

わたしにとっての“ちゃんと”とは、紐がほどけないことだったが、先生は方向にも正しさがあると言う。

 

先生は根気強くちょうちょ結びを教えてくれたが、一向にたてむすびが直ることはなかった。

 

自分がパートタイムで左利きであることに気付いたのは、だいぶ経ってからのことだった。

 

正しいちょうちょ結びをするには、先生のお手本をあたまの中で反転させて再現する必要があった。

 

それがわかれば、よこむすびの正しいちょうちょ結びなんて簡単なのだった。